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写真・時代の証言者 - 熊谷元一 写真童画館

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年2月1日更新

熊谷元一 写真童画館写真・時代の証言者

写真・時代の証言者

熊谷元一は、昭和11年に初めて自分のカメラを購入しました。それ以来、生まれ育った阿智村を被写体とし続けてきたのです。いわば写真による定点観測といえましょう。熊谷による農村記録写真は、結果として時代の変貌をまざまざと印画紙に刻み込んでいくことになります。 ここではそうした写真の一部を取り上げ、熊谷自身の言葉によって解説していきます。

忠魂碑から慰霊碑へ

昭和13年
撮影: 昭和13年
昭和12年
撮影: 昭和12年
昭和31年
撮影: 昭和31年
昭和30年
撮影: 昭和30年

 

 

 

 

 

 

 

この忠魂碑を建てるときに、どっかで阿知川の川上のほうにあった石を、キンマで阿智村の中を引いてきたんだけどね。そんな今みたいにトラックなんてないですからね、キンマで引いてきたと思います。それ、見たことがあるな、私。 写真は陸軍記念日の時のもの。ここにいるのは青年学校の生徒か青年団ですね。子どもがいない。それで子どもたちはこの日、戦死した人のお墓にお参りに行くんですよ。浄久寺というお寺のすぐ左に一言観音様って、釣鐘堂があるんですよ。そのちょっと50メートルほど先に日露戦争で戦死した方のお墓があるんです。そこにお参りに行く。
戦後になると忠魂碑は倒しちゃってね。それでさらし者にしちゃいかんということで、一時は土かぶして、いけてあったんですよ。それを今度、また建て直すといって、それで土を払ったんです。その間、子どもたちがここへのぼったりして。 それで碑の名前をなんというあれにするかということで、いろいろ問題でね。説明を横につけて忠魂碑そのままで建てればいいんじゃないか、という意見と、そりゃやっぱりいかんと、慰霊碑としてやれという意見と。意見が村の中でも分かれた。それで結局は慰霊碑と直したんですね。

戦前の学童・戦後の学童 

ここは会地小学校(現阿智第一小学校)です。入学して間もなくの頃の子どもだな。学校出てきてね、ここに窓があるから学校の帰りがけに出てきたところだなあ。 それでこういう洋服の子もあるし、和服の子もあるし。たまたまちょうどうまく、男の子が羽織着て帯を締めてない、帯ったら。帯を締めていないのを帯ったらという(笑)昔は帯を締めていない子がおったんだ。この子は女の子でも服を着てますね。男の子は大概、服なんですよ。たまたまこの子はどういううちの子だったか。これ、かばん背負ってますからね。これランドセルでしょう。こういういろんな服でねえ。だからそういうのが、時代の服装の移り変わる一こまなんだ。
昭和22年
撮影: 昭和22年
これは、私がいっとった学校、智里の学校(現阿智第三小学校)です。写したのは11月3日の村の運動会ですね。子どもたちが旗持って歩いている。学年ごったで旗行列ということで行進したんですね。それで当時の服装がどういう服装だかということがわかりますね。 場所はお宮の拝殿です。学校の裏に行ったところに丘がありましてね、そこに広い庭があってお宮もあった。それで運動会もそこに行ってやったんです。学校の校庭では狭くて運動会にならんというわけで。 この昭和22年頃はちょうどフィルムがないときでね、写真は少ないんですよ。だけれどもこのときは何とかして、こういう平和になったということで撮ったんですね。これ非常に明るい写真ですからね。戦争の時代から平和になったってね。

 

中央自動車道開通の前と後

昭和43年
撮影: 昭和43年
昭和49年
撮影: 昭和49年

この二枚は両方、阿智村の大橋というところの一部です。ここに10軒くらい、うちが並んでいるんですよ。そこで高速道路が開通する前と後とを対比したのがこの写真。写っている現場は、両方同じうちじゃないけれど、大橋っていう場所が同じですからね。 中央道がここにいずれ通るからって、ねらって写したのがこれですね。ここに通るっていうから先に撮っておくというわけで。だから後からこういうのを撮るために、その前の様子を写した写真を用意したってことじゃないかな。 こういうことができるのが村におる強みですよ。村なら大体こういう風になって、ここがこういう風になっていくと、ある程度そういうことの目鼻がつく。そういうことが分かっておって、場所を幾場所か決めて撮ってる。もちろん無駄なやつもありますけれどね。そういったズバリというやつも出てくる。この二枚はズバリのほうですね。それがやっぱり村に住んで、長年そういうことをやってた者の取り柄じゃないかな。

 

 

 

 

 

開拓地からゴルフ場へ

この二枚は浪合村です(現阿智村)。満州に出て引き揚げてきても、そういう人たちは自分の畑も何もないでしょう。それだから浪合村の未耕の荒地っていうか、そのまま耕さずにおいてあったところに入った。ここがそうした開拓地の一つなんです。
昭和31年昭和48年
撮影: 昭和31年撮影: 昭和48年
開拓地っていっても成功したところもあるけれど、ここはもう、うまくいかなくってそのまんま引き上げたんじゃないかな。それでこの空いたところがあって、そこをゴルフ場にした。この二つの写真はちょっと同じ場所に見えますけれど、おんなし場所じゃないですよね、大体近いところですけれど。 写真を写したのは阿智村から大野っていうところ、通り越してね、それから峠を越して浪合村に行くんですね。そこへ開拓の人たちが入りましたからね。そこへずいぶん写真を撮らしてもらいに行きました。開拓ということで。